好酸球性副鼻腔炎のブログ

完治しない難病「好酸球性副鼻腔炎」である私の治療に関する忘備録です。

入院当日

総合窓口でも受付を済ませて入院フロアへ。
私が希望していた個室に通されました。


パジャマに着替え、サンダルに履き替えて
荷物を棚に入れていると


昼食が運ばれてきました。


白米200g、白身魚のパン粉焼き、竹輪とわかめの酢の物、ポテトサラダ、バナナ


なかなかの量です。白米が多いのかな。
TVを見ながら昼食をとっていると、働き盛りの自分が
昼間からこんな事をするなんて贅沢だなと思いました。


当日は何も制限がありませんでした。
主治医、手術担当看護師、薬剤師・・
代わる代わる先生たちがご挨拶に来ていただきました。


看護師さんから手術中に好きな音楽をかけるので
どんなのが好きか聞かれました。


(洋楽が好きだと答えたら
確か術中はエンヤが流れていました。)


そして鼻毛カッターを渡され、人生初の鼻毛カット


私の部屋の真ん前に給湯室があり
そこで冷水、お湯、暖かいほうじ茶が飲み放題でした。


入浴後にほうじ茶を飲みながら読書をしていると
18時に夕食が運ばれてきました。


白米200g、牛肉とごぼうのしょうが煮、大根の中華あんかけ、カリフラワーサラダ


量が多いです。動いてないのにこんなに食べて大丈夫だろうかと思いながら完食。


あとは寝るだけです。
21時消灯なのでTVを消して
目をつぶるといつの間にか寝ていました。


入院1日目は余裕でした。
恐怖心や緊張感を忘れ、ぐっすりと眠りました。


いよいよ明日は手術です。

入院までの手続き

初めての全身麻酔手術。
(当時36歳でした)36年も生きてきて、こんなに怖いものがあったとは。
想像だけで恐怖心がふくらみます。


手術内容は


右と左を区切っている骨の矯正(切除)
鼻茸(ポリープ)の切除
副鼻腔のうみのかき出し


正式な名前があるのだと思いますが
患者目線ではこんなイメージでした。


入院も30年ぶりくらいでした。
独身で親元を離れた今、何もかもを自分で手続します。


最初に、高額医療になるので「限度額適用認定」を申請してくださいと
病院から勧められました。


医療費が一定の金額を超えた部分が年齢と所得に応じて
払い戻される制度があるのです。


↓ ネットで調べるとすぐに出てきます。

申込用紙はダウンロードできます。
申込用紙をポストに投函して、10日程度で認定書が届きました。
これは簡単でした。


入院の期間8日間を予定していました。


周りに気を遣わずに病室でも仕事をしたかったので
病室はお手洗い付きの個室を希望しました。
1泊7000円でTV、冷蔵庫、お手洗いがついていたので
安いほうではないかなと思います。


急病の方が出るかもしれないとの事で
お部屋の確約は出来なかったのですが、希望は出せました。


入院に必要なものを買い集めました。(持ち物は病院から指定があります)


↓ 百均で購入
ポットか水筒(お茶を入れる)、おはし、スプーン、湯飲み(暖かいお茶がでるから)


↓ ドラッグストアで購入
T字帯(ふんどしのようなものでした)、OS-1を2本(所さんがCMしている経口補水液)


↓ 病院の売店で購入
綿球#14(術後、鼻の入口に詰める用)


↓ 他、自宅にあったもの
鼻セレブ、バスタオル、タオル、サンダル、パジャマ、マスク、洗面用具、下着、化粧水
ヘアワックス(髪がぼさぼさになるので)、ウロウロする用の小さいバッグ


仕事用PC、携帯、充電器、イヤホン、文庫本、お菓子と、まあまあな量の荷物です。


ですが、独身でなので、忘れ物はできませんでしたので
出張用のキャリーバッグに十分に詰めこみ


いざ、病院に向かいました。
今日から入院生活です。

好酸球性副鼻腔炎と診断されるまで

はじめに
私には医学的な知識はございません。
素人レベルの言葉でできる限りの体験をお伝えできればと思います。



1981年生まれの私。
幼いころから鼻の粘膜が弱く
くしゃみをするだけで鼻血がでるような子でした。


ですが、鼻を垂らしていたような記憶はなく
においも味も分かっていました。


(今のお子様はそんなことはないと思いますが、
私の幼少期はクラスに1~2名は鼻が出ているお子様がおりました。)


私のアレルギーといえば、猫


動物は大好きですが
猫に触ると、まるで大泣きしたかのような涙と目の充血、かゆみの症状が現れ
周りの友達に大変な心配をされました。


そして不思議なのは、花粉症がないという事


鼻のアレルギーを持っているのなら
花粉症もあるでしょう、と人からよく言われますが、そこはないのです。



楽しかった小中高大学生の頃は鼻にかかわる大病はなく
耳鼻科に通院したり、常備薬があったりする事はありませんでした


調子が悪い時もありましたが
授業中に鼻水が止まらずハンカチで抑えることに奮闘したくらいです


鼻の症状が悪化したのは社会人になってからです


生活雑貨企画の仕事に就いた時
その会社のメイン商品は、香りが良い入浴剤でした。


その時代には、匂いがわかる時とわからない時があり
香りのテスターを試すときは分からない事のほうが多かったです。


メインが入浴剤ですので、関連商品として
ハンドクリーム、ボディクリーム、アロマオイル、ディフューザー、お香・・
香りが絶対に必要な商材ばかり。


魅力的な仕事でしたが、においがわからない自分には
まるで合わない仕事だったと思います。


そんな時に風邪をこじらせてしまい
会議中にどうにもこうにも鼻水が止まらない状態に・・


会議にまるで集中していない私に気づいた上司が
とにかく一度耳鼻科に行きなさいとすすめてくれました


翌日、会社近くの小さな耳鼻科で診てもらうと
鼻茸(ポリープ)ができていて粘膜が炎症を起こしている事が分かりました。


ですが、そこは小さな耳鼻科です。
処方箋で炎症を抑えましょう、との事でした。


鼻水を吸い取ってもらい、炎症を抑える吸入器をすると
大変な爽快感があり、嗅覚が戻ってきたのです。


ですが、治った気分でいると、そこは勘違いです。


鼻茸(ポリープ)が存在する以上、たちまち、においが分からなくなるのです。


結局、香りが大事な仕事では私の嗅覚では難しいと思い、転職しました。


転職先は、においとは関係ない仕事でした。


ですが、風邪をひくと呼吸困難に近い状態になるため
自宅近くの耳鼻科には通っていました。


鼻茸(ポリープ)は大きくならない程度に
処方箋で飼っておきましょう
どうしても苦しければ手術


と言われていたので、手術が怖くて処方箋を続けていました。
当時の処方箋は、エリザス(点鼻)、キプレス(錠剤)でした。


それから3年ほど鼻茸(ポリープ)を飼っていたのですが
少しでも寒くなると、鼻詰まりがひどくなり
夜中は喘息のような状態で眠れない日が続きました


その上、仕事はピークに忙しく
いろいろなストレスを感じていたのだと思います。


鼻をかんでもすっきりせず、頭痛、小鼻の皮が剥けてしまい
堪りかねて、大きな病院で診てもらうことにしました。


そこで初めて血液検査、肺機能検査、心電図、CTを受け
鼻の状態を洗いざらい診てもらったところ
好酸球性副鼻腔炎(こうさんきゅうせい ふくびくうえん)だと診断されました。


CTに写った私の鼻の状態・・
それはひどいものでした


人間の顔を縦にスキャンすると
目の下に空洞があります


目の下は空洞なので真っ黒に写りますが


私の空洞は真っ白


真っ白の正体は、うみ


私の空洞には大量のうみが溜まっていたのです


そして、鼻の穴の中央の骨が左に湾曲しているため
長年飼っていた鼻茸(ポリープ)と一緒になって
空気の通り道をふさぎ、細菌が空洞で繁殖しているような状態でした。


さらに血液検査の結果、好酸球の数値が以上に高い
正常レベル:1~5%
私:23.9%


好酸球とは???


患者レベルの知識です。
アレルギー反応の制御にかかわる白血球の一種だとか
好酸球が働くことでアレルギー反応を起こしやすくなるそうです。


好酸球数値が高いことで
好酸球性副鼻腔炎は喘息を起こしやすいのです


鼻も口も息ができないとなると、どうなるのか・・
想像もできない苦しみです。


一大決心
人生初めての手術を受けることを決心しました。



私が手術を決心して、受けるまで
とても心強かったのは
好酸球性副鼻腔炎の手術を受けられた方々のブログでした。


ネットで探すのは大変な好酸球性副鼻腔炎の手術


今、症状に悩まれている皆様の参考になればと思い
また、いまだ好酸球性副鼻腔炎と戦っている私の体験を
ブログに残しておきたいと思います。